日本人の関わっていた8080開発
現在も生産が継続中の 米国ザイログ者のマイクロプロセッサ(MPU) Z80
このZ80の「元祖」が米国インテル社の 処理装置 8000 シリーズ です。
- 米国インテル社の「8080処理装置」は、米国インテル社が 日本ビジコン社 嶋正利氏 と設計・製造した2番目の8ビットマイクロプロセッサでした。
このマイクロプロセッサは西暦1974年4月に登場し、初期の 8008 処理装置を拡張・強化したものでした。
指定周波数と周波数の限界は2MHzで、一般的な命令は4、5、7、10、11サイクルを使用しており、その結果、1秒間に数十万回の命令を実行することができました。
8080は、当時のメインフレーム・大型汎用コンピュータを目指して設計されていたようです。欠点としては「i8224クロックジェネレータ/ドライバ」および「i8228バスコントローラ」という2つのサポートチップを必要としていたことでした。
回路部品に非飽和エンハンスメントモードトランジスタを用いた「N型金属酸化膜半導体論理」(N-MOS)を用いていました。このため、トランジスタ回路(TTL)において+5V電源に加えて、+12Vと-5Vの電圧を用いた電源が必要でした。
初期のマイクロプロセッサは、電卓、キャッシュレジスター、コンピュータ端末、産業用ロボットなどの大量生産される機器によく使われており「8080処理装置」は、汎用機として成功を収め、マイクロコンピュータ産業の起点となったとされていました。
「8080処理装置」の普及にはいくつかの要因がありました。
NMOS実装
「P型金属酸化膜半導体論理」(P-MOS)により、「8008処理装置」よりも高速なトランジスタを実現したことと、TTL(トランジスタ回路)互換にすることでインタフェイスを簡素化したこと。さらに、8008よりも命令セットが強化されたことです。
16ビットアドレスバスの採用
16ビットアドレスバスの採用により、8008処理装置の「16キロバイト」の4倍にあたる「64キロバイト」のメモリ空間に直接アクセスできるようになったのです。
オペレーティングシステムの採用
ゲイリー・キルドール博士によって開発された「CP/Mオペレーティングシステム」の最初のターゲットCPUであり、「アルテア8800」とその後の「S-100バス」搭載の「パーソナルコンピュータ」で使用されていました。 - 嶋さんの偉大さに完敗しました。
頑張れ嶋さん。嶋さんに乾杯!