独自処理系と事実上の世界標準
私はCarry Dos,と,Hu-Disk BASIC,dB-IBASIC,CP/M の実物を所有しています。
日立で働いていた時や、物デジで働いていた時にかなり幅広くお店に通っていたので。
使ってみた感想は悪くないんです。
が、しかーし
(日本人の悪い癖なのですが)独自処理系には妙な弊害があります。
・Carry Dos には 標準入出力の概念がありません。
・Hu-Disk BASIC にはモニタがサポートしてくれていましたが、これはDOSではないので不便です
そもそも、CP/Mと違い、国産のDOSの多くには<連係編集プログラム>たる「リンカ」と、<書庫管理プログラム>たる「ライブラリアン」というものが一切ありません。
(SHARPのF-DOSは違いましたが。当時の私の手取りでは買えませんでした。)
西側諸国の人々の様子は、我々日本人技術者の様子とまったくことなり、合理的な判断で「システム開発としての」ソフトウェア設計をしています。
そもそも、国際的に「事実上の標準」たる CP/M を使わず、独自モニターと、 独自DOS に走る時点で相当の凝り性なわけで。
それがゆえに。
90年代以降 16bit 時代に「事実上の標準」に痛い目にあって(今でも逢い続けていますので)すごく西側諸国から後逸してしまうわけですがね。
しかーし、CarryLab. (キャリーラボ)の足跡をたどると、 q-Pascal の設計者との交流に辿り着くわけです。つらつら当時のI/O誌を見るに…(I/Oも持っていますよ)
ぬわんと q-Pascal の作者が文通したり、職場訪問したりした際に「無償で」「自分の仕事があるのに」作者に技術提供していたわけです。
CarryLab. …
…だから 倒産するんですよ。
普通そこまでしませんて…
リチャード・ストールマン氏よか、よっぽど早くソフトウェア共産主義を実践していたわけで…
つまり CarryLab. こそは、救世主であり、福音というカーゴをもたらす主であり、革命的ソフトウェア集団でもあったわけです。
のちに解散して倒産したのが惜しまれます。
なんで私達の世界は主や救世主や社会主義者に優しくないんですかね…
みんな世界を今よりより良くしようと奮起していらっしゃるのに。
ライバル企業たる dB-SOFT に WICS などの技術を次々と提供し、後に JET のワープロ辞書を丸ごとすっぱ抜かれる(盗用罪)という不法行為にあうとか、もうマゾでしょう。
あまり言いたくないんですが。
「資本主義」は無償の愛を持つ技術者が嫌いなんでしょうか?
私はそうは思いたくありません。
吉村師匠や古旗師匠が不幸せな世界線は、Dメールでひっくり返してやりたいです。
その為には
X68かTownsにeth:デバイスの基盤を接続し、"SERN"の技術を盗んで"IBN"コンピュータをゲット…しなきゃだワなわけで。
道のりは遥か遠いわけですが。
やります。
決心しました。
オープンソース運動万歳だお。
ダルがいうんだから間違いないお。
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